1816年10月16日、(ドイツから割譲されたフランスの)バ=ラン県バッサンに一人の子供が産まれた。コペルニクス・ガリレオ・ニュートンらが各世紀にその名を刻むように、19世紀にその名が知られることになる。アントワーヌ・ベシャン、1816年生まれ、1908年4月15日死去。ベシャン教授と研究協力者らの残した研究と驚嘆すべき発見を内容に、数年に亘って文通をしていた米国の老医師が初の訪問をしてから14日後のことだった。老医師がパリを訪問したのはベシャン教授と個人的に親交を深める為であり、教授とそのご家族もまたこの訪問を心待ちにしていたという。
訳者は以前、自前の生理学的・生物学的発見を広範にまとめたものを教授に送り、教授の修正の後認められた。本書の訳者が約14年の歳月のほとんどを捧げた、予防接種とその病理学への関連に纏わる広範な作品の特別章に掲載するつもりであった。
しかし、ベシャン教授の逝去の間際、教授と私との間でほぼ毎日交わされた長い対談の中で、このような要約版ではなく、教授の重要な発見の最低限を正確な翻訳版で英語圏の人々に届けた方がよいと私の方から提案した。特に私の見解では、教授が「時の最大の科学的愚行」と正鵠を射る疾患の微生物・病原体理論のような、教授の功労を堕胎する歪曲した盗作に賛同して教授の発見を葬り去る「沈黙の陰謀」に加担する者達にそれを任せるのは容易なことではない。この提案にベシャン教授は心底同意を示し、教授が発見した生物学・生理学・病理学の偉大な真理を普及させるに当たり、考える通りの最善の行動をとるように告げ、私が最も賢明だと考える要約版でも英訳版でも自由に出版することを許可してくださった。この許可の下、本書はベシャン教授の最後の偉大な発見を英語圏の人々に紹介することを意図して出版されるものである。
本書の主題は題名の通りだが、この巻で見事に解決された血液の凝固問題は、これまで生物学者・生理学者・病理学者の謎であり不名誉であったことを、医学者には思い出して頂き、一般の方々に知って頂くのが良いだろう。翻訳版の出版時点で教授は85歳であった。訳者の知る限り、この作品は盗用されておらず、教授の重要な発見の内で唯一あまり触れられていないものである。この出版当時に驕った盗作者は亡くなっていた。が。彼の邪悪な仕事はまだ生きている。
ベシャンの発見のひとつは、アルブミン様物質の酸化による尿素の生成であった[1]。この事実は当時は斬新で、激しい論争となったが、ベシャンの見解に基づき現在では確実に解決されている。彼の手記には、生体の尿素の起源に関する生理学的仮説の実験的証明が克明に記されていた。尿素の起源は窒素物質の破壊によるとされていた。長い一連の厳密な実験によりアルブミン様物質の特異性を明確に実証し、それまで単一化合物を構成するとされてきたアルブミン様物質を、多数の明確な種に分画したのだ。彼は新しい且つ簡便な実験手順を取り入れ、このお陰でdefinite compound(※適訳不明)の一覧を発表し、後にザイマーゼと名付ける一連の可溶性発酵体を分離することができたのである。
1. Annales Physiques et Chimiques, 3d., Vol XLVIII p348 (1856) C.R. Vol XLIII p348
彼の発見を曖昧なものにするために、これらの発酵体には時にジアスターゼという名称が与えられてきたが、ザイマスという名称を復活させなければならない。また、生物が分泌する可溶性の産物(ザイマーゼ)の重要性も示した。こうして彼は、発酵の研究へと導かれたのである。
彼は、当時一般に受け入れられていた化学理論に反して、ビール酵母のアルコール発酵が、動物の生命活動の一つである消化の規則正しい営みを特徴づける現象と同じ性質のものであることを証明したのだ。1856年には、ビール酵母が分泌する転化発酵体と同じように、カビがサトウキビ糖を転化糖(グルコース)に変化させることを明らかにした。このカビの発生は、ある種の塩に補助され、他の塩によって妨げられるが、カビの存在なしに変化は発生しない。
また、炭酸カルシウムを沈殿させた糖液は、空気中の細菌の侵入を阻止すれば転化が進行しないことを証明した。この空気中の細菌の存在は彼が独自に証明したものである[2]。このような溶液に、純粋な炭酸カルシウムの代わりにメンドンやセンスの石灰質岩を加えると、カビが発生し、転化が起こる[3]。このカビは、顕微鏡で見ると、ベシャンが微小発酵体と名付けた分子顆粒の集合で形成されていることがわかる。純粋な炭酸カルシウムには見られず、地質学的な石灰質の地層に見られる。ベシャンはそれが砂糖を転化させられる生物であり、中には発酵を起こすものがあることを立証した。
2. Repertoire de Chimie pure, Vol. I. p. 69 (1859).
3. Role de la craic dans les fermentations, Bull. Soc. chim., Vol. VI. p. 484 (1866).
更に、この顆粒が、ある条件下でバクテリアに進化することを示した。この発見が別人に流用された為に、後に微生物(microbe)という名称が適用され、この用語は微小発酵体(microzyma)の名よりも知れ渡っている。しかし、後者の名称を復活させ、圧倒的な混乱を起こした科学の言語から微生物(microbe)という言葉を消し去らなければならない。これは語源的ソレシズム(文法違反)でもある[a]。
<a. ギリシア人は"マクロ"ーブ(macrobe)という言葉を、長命の人物を意味する言葉として使っていた。類推するに、"マイクロ"ーブ(microbe)は短命の人物に相応しい。ベシャンは、微小発酵体が果てしなく長寿であることを証明した。従って、マクローブという用語が相応しいかもしれないが、小さな発酵体を意味する"マイクロザイマ"も、それに劣らず相応しい。つまり、寿命期間で対比させると、マイクロザイマスはマクローブと呼べるだろうが、人間こそマイクローブであろう。-(訳者)
ベシャンは自然発生を否定し、パスツールは自然発生を信じ続けた。後に彼も自然発生を否定したが、彼は自身の実験を理解しておらず、自然発生論者のプシェの主張に対しては何の価値も持たない。その主張には微小発酵体理論からでしか回答できないからだ。
更に、パスツールは消化プロセスも発酵プロセスも理解していなかった。どちらのプロセスもベシャンによって解明されたのだが、奇妙な因果により(意図的なのか?)どちらもパスツールの発見となっている。
(ジョセフ)リスターは、自身で述べている通りパスツールから消毒法の知識(これもベシャンの発見)を得た可能性が高いが、これは以下の特異な事実により証明されている。リスターの初期の消毒手術では、患者が大量に亡くなった為、「手術は成功したが、患者は死んだ」というのが、ある種の陰惨な医学ジョークになったほどである。しかし、リスターは優れた技術と観察力を持つ外科医であり、「手術が成功し、患者が生きている」ときに、消毒剤の使用量を必要かつ過不足ない量に徐々に減らしていった。消毒法の発見者であるベシャンから技術を学んでいれば、初期の患者を救えたことだろう。しかし原則を理解しないまま盗作した[4]学者(?)から又聞きで得た為に、リスターは診療を通じて~即ち初期の患者を犠牲にすることで~正しい技術の知識を習得しなければならなかった。
4. See "Louis Pasteur, Ses plagiats chimiel-physiologiques et Medicaux"
ベシャンは、ウィルヒョーの格言「Omnis cellula e cellula(全ての細胞は細胞から)」をさらに推し進め、当時の最新の顕微鏡技術と科学では達成できなかったことを実現させた。ベシャンの発見により、今日では、細胞ではなく、微小発酵体が生命の単位とみなされなければならない。細胞はそれ自体が一時的であって、彼が明確に証明した通りに生理学的に不滅の微小発酵体によって構築されているからだ。
ベシャンは、当時(1866年)フランスの南部地方を襲っていた蚕の病気を研究し、すぐに2つの病気があることを発見した。1つは寄生虫によるペブリン、もう1つは体質によるフラシェリである[5]。1ヵ月後、パスツールは最初の蚕作戦をアカデミーに報告した際、ベシャンの観察について「それは誤りだ」と述べ、寄生虫説を否定した。しかし、2回目の報告書では、あたかも自分の発見のようにこの寄生虫説を採用したのだ!
5. C. R.Vol. LXII. p. 1341.
以上、ベシャンの労苦と発見の不完全な一覧に過ぎないが、現在翻訳されている作品は、その最高の栄光であった。本書は、ベシャン教授の生物学上の大発見から最新のものを解説したものである。それに続き、現在翻訳中の"The theory of the Microzymas and Microbian System(微小発酵体と微生物系の理論)"、翻訳の完了した"The Microzymas(微小発酵体)"。その他の作品としては、次のようなものが続くと思われる。『医学上の大問題』(第一部は印刷の準備ができている)、『ワインの発酵』(翻訳は完了)、『アルブミノイドに関する新研究』(これも完了)などである。
ベシャン教授の研究と発見の数々は、今日混沌とした不確実性と混乱の中にある生物学・生理学・病理学の科学に新たな門出と確かな基盤を生み出す。そして前述の通り、ベシャンが「時の最大の科学的愚行」と称した疾病の微生物理論という迷宮に迷い込んで雁字搦めとなっている医療専門家を正当な調査と実践の道へ連れ戻すものになることが期待される。
Ainsi Soit-il!(そうこなくっちゃ!)
-1911年ロンドンにて。
モンタギュー・R・レバーソン
~末筆~
翻訳者は、本書の出版に当たり、様々な形で援助を頂いたハーリン・ヒッチコック博士、チャールズ・ヒギンズ氏、トス・バウドレン少佐に大変感謝している。特にヒッチコック博士には、その学識、多大で親身な労力、校正の巧みさによって、翻訳者の視力の衰えによって見過ごしていた多くの印刷の誤りを発見していただいたことに感謝しているはずだ。
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