教科書では、ワクチンの歴史はエドワード・ジェンナーの種痘と習います
が。
数千年を生きる人類が、病を予防しようという発想に至ったのが、僅か200年前などありえません
事実、免疫の歴史を遡れば、免疫の二度なし現象(一度罹患したら抵抗力がつく)の記述は、古代ギリシャにその記載が見られます
↓リンク先より抜粋
一度感染した病気に二度とかからない、或いは感染しても症状が軽くなるという免疫の「二度なし現象」については、年代が特定できる最も古い記録として、古代ギリシアの歴史家のトゥキュディディスの「戦記」であると指摘されています。
この「戦記」には、古代ギリシアの植民都市であるシラクサと、当時、地中海貿易で繁栄していたカルタゴとの戦いの中で、まさにこの「二度なし現象」が、シラクサをカルタゴ軍から救ったと書かれています。
この二度なし現象に注目して、昔の人類が何等かの対処を行っていたことは十分に考えられます
そこで、予防接種の歴史とはどこからきているのか?この風習はいつからあるのか?
今回はそんな疑問の為に、Herbert Shelton氏の著作「Vaccine and Serum evils」より、Chapter1の一部を翻訳いたします
ハーバート・シェルトン(1895-1985:米国自然療法医)
医学の歴史の中で、現代でも普及している習慣や理論の中に、古代の習慣や伝統、迷信に由来する例の数は、本当に驚くべきものです。
イングランドの牛飼いや乳母達の間で広く普及していた牛痘の天然痘への免疫力が、どれほど遠い昔からあったかは不明ですが、1717年にオスマン帝国の英国大使の妻であるM.W.モンタギュー夫人※によって、東洋からイングランドに持ち込まれた人痘に由来していると考えられています。
※The Golden Calfにも登場しました
人痘:天然痘患者の膿を乾燥させたもの
痘漿と痘痂の二種類がある
モンタギュー夫人は痘漿を伝えたものと思われる
人痘は、その有害性から、1840年に議会の法律で廃止されました。
1754年、王立医科大学は、以下のマニフェストを発表しました
これは、ワクチンに纏わる昨今の医師達の発言の如く奇妙なものです。
"医科大学は、イングランドでの人痘の成功について懸念を呈する誤った報告を受けていた。この報告は諸外国で公表されたものだが、改めて以下のように我らの見解を発表することが適切と考える。
即ち、この習慣が始まった当初巻き起こった反対論争は、経験的に棄却されるものであり、昨今、英国人の多くに尊重され、広く普及しているものである。
大学は、この習慣が人類にとって非常に有益であると考えている。"
こうして権威ある団体の分かりやすい嘘に反し、この診療は成功しませんでした。 縁起の悪いことです。また、現実はこの反対意見を棄却するものではありません。
イングランドの天然痘の増加を引き起こした非常に有害な医療行為であり、これは最終的に法で廃止されました。
E.ジェンナー氏は、B.ジェスティ氏に倣って、古い予防接種(※1)の習慣を、乳絞り達の宗教的な信念にすり替えることで、新たな予防接種(※2)が誕生しました。
※1:人痘
※2:種痘
私は予防接種の習慣は東洋から伝わったと述べました。
この迷信の起源は、先史時代の闇に隠されています。
世界各地の野蛮民族が 予防接種を実践していました※
※M.ガンジー氏の証言と食い違う…?
ガンジー氏はここまでは遡っていないと思われる
それは、インドで始まったと考えられています。
私達の迷信の多くの発祥地であり、そこからアフリカやヨーロッパに広がっていきました。
太古の昔から、ヌビアの黒人とアラブ人は天然痘の予防接種を行っていました。
北アフリカのアシャンテ族、ムーア人とアラブ人部族は、古代から腕から腕(arm to arm)の予防接種を実践していました。
コンゴ上層部の野蛮族は、梅毒予防として。
ラドのバリス族は左胸に。
セネガルの黒人は 子供の腕に。
セネガンビアのムーア人とプール人は胸膜肺炎予防として。
この種の慣行は、18世紀にスイスのベルンでも普及していました。
天然痘の最初の記録はインドに見受けられ、予防接種も3000年以上前に流行っていました。
医学のヴェーダの父であり、紀元前1500年に生きたとされる最古のヒンドゥー教の医師であるダンワンタリは、最初に予防接種を実践し、また、ワクチンを使用していたとも言われています。
中国では千年以上に亘って予防接種が行われています。
この医療行為は様々な民族の宗教的迷信と混在しており、その起源を宗教史の学生が推測するのは難しいことではないかもしれません。インド、マラバ、そして世界の各地域では、予防接種は天然痘の女神の崇拝と混同されていました。
予防接種は、無慈悲な神の怒りを宥める為にデザインされた、迷信的儀式以外の何物でもなかったと思われます。神や女神の怒りを買うと、あらゆる苦難が全て自分達に降りかかると思っていた人々は、女神をご機嫌を取る為に、この不潔な儀式を始めたのです。
1755年、コンスタンチノープルで英国大使を務めたポーター氏によると
※Gentleman's Magazine 1755年10月号
"『ある天使がこの病を司る』
これがこの国の伝統であり思想である
グルジア人は、少量の天然痘の膿を採取し、健康な人間の親指と人差し指の間に注入して瘢痕化することで、自身の信仰心を示し、信頼の証としていた。
手術は、その効果を逃すことはないとされている。
天使の御声を聞き逃さぬよう、彼らはベッドの周りに緋色の衣を掛けている
緋色は、天界の住人が好む色であり、そうして機嫌を取りたいのだ。"
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